歯科ブログ
「北船場茶論-「北浜近代建築」街歩きツアー :)
土曜日午前の診療後、ワクワクしながら行ってまいりました!
「北浜近代建築」を巡る街歩きツアー、時折あいにくの小雨でしたがあまり気にもならず楽しい2時間でした。
以下、私の勘違いが混じった感想です:P
ここで言われる「近代建築」とは関東大震災で壊滅状態となった東京から一時、人と資金が大阪に大移動した時代。大正末期から昭和初期にかけて、「御堂筋」を中心に近代都市計画によって造られた建物です。
関東大震災の教訓が生かされ、それまでの木造建築から鉄筋コンクリートが主に使われ、装飾も魅力的なものにされました。
「大大阪時代」。昨日はその時代の初期のメインストリートだった堺筋を中心とした今橋、高麗橋、伏見町、道修町、平野町がメインでした。
ガイドをしてくださったのは、「とうどう」さん、ドラマ「あさが来た」の裏話、実話などを始め「大大阪時代」のエピソードをそれだけでも一冊の本になりそうな楽しいお話をしてくださいました。
お話ぶりや、氏子として天神さんの船渡御のお世話をされていることなどから、由緒正しい伝統あるお店の「ごりょんさん」では?、、、さて、駆け足で私たちの誇り「大大阪」を見ていきましょう!
「新井ビル」(旧報徳銀行大阪支店) 皇居二重橋などを設計した河合浩蔵の設計されたモダンな銀行ビルです。
この時代の建造物に使われているものは、もう今では製造不可能なものがほとんどで、このガラスもちょっと揺らいで見える独特のガラスですが、壊れたら今の無味乾燥な完璧透明なガラスに交換するしかないと嘆いておられました。
古い建物の「トイレ」「階段」フェチとしては大満足なビルです:P
当初はホテルとして使われていた「伏見ビル」と先先代が譲り受けられた甲子園球場の蔦に覆われている「青山ビル」。
見事なタイルとエントランスです。
「生駒ビル」。今でもオーナーはお替わりにならず、しかも同じく「生駒時計」店をされているそうです。昔は屋上の時計が遠く大阪駅からも見えていたと言いますから驚きです!
ビル表面は特徴的なテラコッタのタイルで装飾されていますが、これも今や入手不能で、もし壊れたらビルの背面などの目立たないところから移植されておられるそうです。
「三井銀行」今の「三井住友銀行大阪中央支店」。
このビルは「大大阪時代」の後期の建物。いかにも銀行ビル、という感じで、これに比べると最初の「新井ビル」は当時としては銀行ビルとしては大変お洒落なビルだったのですね。
報徳銀行から買い取られた新井さんは、大阪万博時には役員として岡本太郎氏の「太陽の塔」も建てられた私たちの敬愛すべき大先輩だったようです。
コニシボンドの「小西家住宅」と大阪を代表する「鴻池家本宅跡」。
「小西家住宅」は大阪近代建築以前の代表的な造りで、木造二階建てです。元は薬商だったこのお屋敷にはご家族、使用人などなんと100人近くが住み、5つある蔵の間はトロッコで物資を移動させていたそうです。
「鴻池家」は言わずと知れた大阪を代表する豪商で、「あさが来た」の加島家をバックアップしたことで有名ですよね 🙂
ちなみに三和銀行は鴻池銀行など3行が合併してできた銀行だそうです。
大阪の象徴、「御堂筋」です。
さて、読み辛い文章にお付合いいただき本当にありがとうございました。今回のツアーに参加させていただき大阪人の誇りを再確認できたような気がします。と同時に足がフラフラになり歳も感じました(笑 ちょっと鍛え直し、もっと大阪の街を散策したいと思います!
「とうどう」さん、ありがとうございました!